
太平洋及び日中戦争全史も読了し、ここで違う側からの見方にも興味がわき米人著者の真珠湾攻撃という本を読んでみました。結論から言えば、①真珠湾奇襲は多くの情報源から米側は事前に察知していた②ルーズベルトは議会での非戦派、野党との確執から直接的な行動をとらなかった③欧州戦線の独軍対策が最優先であり日本には暗号解読の事実を知らせたくなかった、といった様々な要素が絡み合い、結果的にハワイの防御は手薄になり奇襲を許した、ということみたいです。
国務長官ハルも含めてギリギリまで和平を模索したようですが、日本の南方作戦のための大輸送船団の南下に激怒して、最後通牒に等しいハルノートを発出したというのが事実。そもそも対日禁輸は国際法上も戦争行為の前段階。現代でも経済制裁はテロであるという議論もあるくらいですからね。米側も開戦必至とみて戦争準備をするなか、42年春まで延ばせば準備が整うとしていたそうです。実際、米軍の開戦時の戦闘機、艦爆、艦攻は旧型モデルであったために日本の航空部隊に敗退しましたが、翌年以降新鋭機がはいると互角以上になって形勢逆転したわけです。日本に性能の高い航空機を作る能力はない、日本人はみな近視なので搭乗員の技量は知れているといった東洋蔑視も根底にはあったみたい。
日露戦争の発端の旅順港攻撃も、2日後に宣戦布告しているし、開戦当時もやっと戦時国際法整備の端緒にあったわけで、むしろ先制攻撃が軍事の基本だったのでしょう。奇襲を宣伝することによって非戦派も一掃され、多くの若者が志願したという単純思考の国民性を考慮しなかった日本軍部が短慮でした。