甘樫丘からの景色です。左側の山が畝傍山、右側が耳成山。さらに右側で写っていない天香久山に囲まれた地域がヤマト政権創始者の崇神天皇が根拠を置いた地域です。この真ん中に藤原京があり、これは短命のうちに北の平城京に遷都されました。万世一系とされる皇室は実質は倭の五王から始まり、継体天皇で別王朝に移行。その後も何回か数代遡っての皇位継承が行われており、明治天皇も孝明天皇の子ではなく、長州で存命していた南朝の後胤だという説もあります。単なる小山だったところを実在しない神武天皇に比定して現在では立派な神武天皇陵としているのは現実的ではないですね。戦後、立憲君主主義者に転向した昭和天皇、皇室以外の血統を迎え入れた今上天皇に並んで、徳仁の時代には天皇陵をすべて学術調査に開放してこそ真の皇室の近代化は達成できるのでしょうね。(ムリとは思いますが。)以上、農閑期の勉強の成果でした。