
明治末期に自由党と改進党が合体して憲政党になり大隈内閣が成立し、伊藤、山県の二大勢力の交互内閣運営を脅かしたため、伊藤は政党政治の必然を悟って自由党を母体に立憲政友会を組織。陸軍、貴族院を率いる山県を体現する桂に対抗、自らは枢密院に退き西園寺を立てた。それが大正護憲運動を経て官僚政治家にバトンタッチされて昭和初頭の政友会、民政党の二大政党政治にたどり着くのですね。現代日本も昭和20年代の自由党、民主党の合同以降保守一党政治になってしまったので切磋琢磨がなくなってしまいました。二大政党政治はこの保守の右派と左派でなされるべきで、勘違いして政権についた民主党の無能ぶりが白日に晒されて以来、国民は投票先のオルタナティブを見失ってしまったのです。自民党一強で、これまた勘違いした安部さんの心情右翼集団が自分たちが信任されたと思いこんでピンぼけ政策を連発、今回のコロナ騒動での行政能力の低さで国民の失望を巻き起こしました。ここは自民党本来の主流派であるコウチカイ系が頑張らなくては。合同でなく分裂によって日本は救われるのです。ちょっと弱い岸田、女でつまずいた林、変わり者の河野、一匹狼の小野寺あたりが頑張ってほしいものです。