やめてよーっ


今日の雨のあと明日から晴れの予報だったので、ブドウの消毒をしませんでした。前回の消毒から2週間以上。雨の連続で消毒できずにいますので、一部病気がでてきています。病気の房を切除して明日に備えたのですが、ヒト風呂浴びて天気予報を確認したらベタで雨。また予報が変わったのでしょうか。前線が南下してしまったみたいです。長雨でやっと大きくなった幸水がみな破裂してしまうし、悲劇的❗  

Posted by benhope. at 2020年07月29日14:40

自家用


バジルは難しいですね。アブラムシが葉の裏についたり、病気で変色したり。特に今年のような長雨の場合は消毒もできず、気温が上がらないので大きくもならず、対処不能です。せめてナポリタンを作ったときにあしらう程度です。  

Posted by benhope. at 2020年07月27日15:01

執念


昨夜ふと浮かびました。株式譲渡利益の確定申告の取り下げは駄目としても、内容の修正ならOk では?ということで、譲渡利益をゼロにして、配当のみ申告としたらe-taxのシステムは受け付けました。不実の申告ではないので違法ではないでしょう。送信は平日のみ(さすが役所)なので、月曜に送ってみます。(働いている時も、夜中によくアイディアを思いついたのを思い出しました。)  

Posted by benhope. at 2020年07月23日09:47

今年も始めました


今年は作らないつもりだったキュウリの切り漬け。雨の続くなかでそこそこキュウリが採れたので漬けてみました。やはり、サッパリとして美味しい。昨日出荷したら道の駅から電話が。何かと思ったら、名前の入力を忘れているとのこと。久しぶりの作業はポカしやすいのですね。  

Posted by benhope. at 2020年07月22日07:37

ガーン‼


株式譲渡利益を分離課税申告しても、6月より前に届けを出さないと住民税の計算上は課税所得に合算されるそうです。そのせいで、住民税は、今まで非課税であったものが課税となるだけでなく、高額医療費還付制度の適用もなくなり、介護保険料の計算にも反映されてしまいます。遡っての訂正申告はできない決まり。仮に、届出をしても株式譲渡利益の住民税分の還付はなくなるという不格好な制度です。もともと株式の利益は確定申告しないという選択肢もありますが、私の場合は3年前までの繰越損失と相殺する必要があり、その還付額との比較衡量となります。しかし、一旦譲渡利益の分離課税の申告をしたら取り下げできない決まりだそうです。なんとも不合理な制度。これで年間30万円くらいの差損が発生します。泣くしかありません。  

Posted by benhope. at 2020年07月21日12:00

ひょんなことから


畑のスペースが余ったので数年前に熟させて採っておいたインゲン豆を蒔いたら、きれいな実がなりました。いつもは黄色い虫が無数についてしまって辟易。もうインゲンはヤメと思っていたのですが、寒冷紗をかけて育てたら背が高くなって、紗をはずしても虫がつかず、きれいに育ちました。豊作のきっかけはわからないものですね。  

Posted by benhope. at 2020年07月20日04:58

復活


もう20年にもなるでしょうか。名古屋時代にマンションのお隣りさんからいただいた胡蝶蘭。毎年咲いていましたが、昨年は力尽きてしまいました。そこで、植木鉢を大きくして海綿を補充したところ、枝が伸びて花芽が出てきました。数えてみたら6個の花は咲きそうです。楽しみですね。  

Posted by benhope. at 2020年07月15日20:24

今季初


要らぬことしてしまいました。以前借りていた土地の柵の周りに雑草がはびこっていたので、ふと素手で抜いていったらズキン!とたんに腫れてきて、慌てて毒液吸出し器で吸引。いまは何とか事なきをえましたが、一時はどうなることかと。クワバラクワバラ。  

Posted by benhope. at 2020年07月13日20:49

これで6キロ


昨年は38キロ。今年は3回目累計20キロです。枝をカットしたので粒は大きくなったのですが、梯子をかけても届かない上の方にある実がうらめしい。今回は250個採りましたが、いつもは400個採っています。梅の木はトゲが多くて大変です。でも、苦労して漬けた梅漬けが飛ぶように売れるのが嬉しくて、つい頑張ってしまいます。  

Posted by benhope. at 2020年07月10日19:57

最近わかったこと


1853のクリミア戦争は世界大戦の先駆けであり、一次大戦と同じ民族独立の萌芽が遠因だったのですね。そこにキリスト教内部の宗派対立が絡んで、英仏墺+オスマン対ロシアの構図になったのです。ロシアは東ローマ帝国の継承者としてコンスタンチノープルを奪還し、やがては欧州を正教で統一する使命に燃えていました。英国はインドの防衛、仏国は東地中海の覇権維持、墺は領内のスラブ民族の独立阻止が参戦理由です。彼らにとってはロシアは異教徒。フィンランド、リトアニア、ポーランドを異教徒から解放し、オスマンはクリミアタタールとカフカスのモスレムを庇護する。当時の欧州は英仏を除いて専制君主の支配下。ナポレオンが民族解放戦争に敗北して大陸が神聖同盟の秩序に戻った反動の時期です。ドイツでさえも統一されず、北イタリアは墺の統治にありました。戦後統一に向け動き始めるのですが、折しも日本も開国に向けての動乱の端緒にありました。ちなみに、英仏が優位に立った原因の最新式ミニエ銃は日本で10年後に官軍が使った後込め、線条銃身、非丸型弾丸です。軍艦も蒸気船は少なくガレー船も動員されていました。日本に来たペリーの軍艦も蒸気船は2隻です。戦争は悲惨だったようです。指揮官がポンコツ。冬の装備なし、補給は後回し。太平洋戦争の日本軍の迷走指揮もせめられないですね。兵隊も虐殺、略奪は当たり前。酒をあおって戦っていたそうです。指揮官は貴族、兵隊は英国は都市労働者、仏国は農民、ロシアは農奴なので死傷者に頓着しない。ナイチンゲールも最初は拒否されたそうです。折しも、最近のロシアのクリミア併合、チェチェンの反乱、ちょっと前のバルカンの民族紛争など、歴史は繰り返される。孫文が死の床でいわく、革命いまだ半ばなり、ではないけど、社会の進歩もいまだに半ばなり、ですね。  

Posted by benhope. at 2020年07月09日19:00