日本の現代文化の端々には江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎に根差した誰でも知っているお決まりのストーリーが反映されています。といっても、その江戸時代の文化自体は中世の能や平家物語に淵源を持ち、さらには平安の古典や唐時代の漢詩、はては万葉集にまで遡ります。(大戦中、日本兵の死体の所持品から万葉集が出てきたことが少なからずあったのに米国の諜報担当者は困惑したとか…。まあ、日本の軍国主義化の遠因が複雑な漢字の使用にありとして、占領期にローマ字を公用語にしようと企てたほどの皮相な考え方の持ち主たちですから仕方ないとして。)1000年以上に亘って引き継がれてきた感情の機微の共有が昨今失われつつあるのは残念なことです。(モンゴル力士が相撲に勝って敗者への労りがないのは仕方ないにしても、ヘーシンクは神永に勝ってもコーチの乱入を制して正座して一礼した精神はどこへやら、テーマソングで登場する現代柔道家が勝って雄叫びをあげるのは噴飯ものですね。)
30歳の頃、地方へ赴任した職場の慰安会の出し物が「白浪5人男」。どこかで聞いたフレーズでしたが、恥ずかしながら詳しくは知らない。89歳のオフクロは、子供の頃、講談社文庫で読んだ「国性爺合戦」が忘れられないとか。確実に、アプレゲール(というよりも、戦争を知らない子供たちの次)の世代から文化の連続性が途絶えています。外国から入ってくる情報が強烈ですからね。でも、昭和30年代まではロカビリーからビートルズに至る時期でさえ、流行歌は「伊豆の佐太郎」「白鷺三味線」、そして「潮来笠」。文化の土台の強さが最後の踏ん張りを見せたのですが、それ以降は時代の潮流に飲み込まれていきます。(ま、それはそれで、素晴らしいこと。特にJポップスの旋律は高度な洋楽知識を一歩乗り越えたソフィスティケーションに満ちており、東洋世界のどの国も追従を許さない域に達しています。)
何を言いたかったか忘れそうですが、この際古典を読みなおして自らのDNAの素地を確認しておきたいという感情が湧いてきました。でも、図書館を探しても単独での発刊はみつからず。古典文学全集でやっとみつけました。秋雨の1日、これで楽しめそうです。