燃やすのも一苦労


伐採した木の幹です。ここまで運ぶのも大変でしたが燃やすのも大変。幹が太いのと乾燥していないのとで、なかなか燃えてくれません。枯れ葉やら枯れ草を集めて火の勢いを増しておいてぶちこんで、ようやく燃えました。冬籠りまでにもう少し庭木を剪定しますので、燃やす機会はまだまだあります。そのたびに力仕事ですね。  

Posted by benhope. at 2016年10月30日14:41

最後の収獲


なかなか色づかなかった藤稔を収穫しました。茎が元気なく垂れ下がっていますので、もう限界かと思います。甘さはイマイチ。でも、食べられないほどではありません。何故熟さずに終わってしまったのでしょうかね。最も期待していたシャインマスカットも袋の中で萎んでいました。結局、食べられたのは1房だけ。ほんのりシャインマスカットの味はしましたが。残念です。ベリーAは2年目から豊作だったのに。風土に合っていたのでしょうか。来年が正念場です。  

Posted by benhope. at 2016年10月29日15:33

こちらも


ついでに玄関脇の桂も芯どめしました。数年前にもやったのですが、周りから枝が生えてきてまた丈が伸びてしまったためです。さらに重なった枝も切って風通しよくなりました。右側のブットレアも、実はカリカリに刈りこむと翌年の樹形がこんもりまとまって綺麗になるということをお隣のやり方から学習しましたので、これも同様にカリカリに。もちろん萩は坊主状態です。剪定は重要ですね。(ちなみに背景は八ヶ岳です。)  

Posted by benhope. at 2016年10月23日18:16

大きな栗のーぉ


気がついたら際限もなく大きくなっていそうな栗の木。そうなる前に枝打ち、あるいは芯止めしました。でも、わが家には普通の脚立しかないのでどうなることかと思いましたが、最上段に立って幹につかまりながら切るとうまく行きました。残りの混んだ枝は幹の又に足を掛けて剪定。昭和35年に田舎で松の木に登って大伯父に怒られて以来の木登りです。どうやらサッパリしてきました。最終形は落葉してから全体の樹形を見てやりますかね。  

Posted by benhope. at 2016年10月21日15:57

寒冷紗の威力


7年ぶりでしょうか。ブロッコリーができました。それも、種から育てたやつです。移住初期に作ったのは以前畑だった庭に肥料が残っていたのか大成功だったのですが、アブラムシが大発生。花蕾のなかに入り込んでどうにも取れません。仕方なくそのまま茹でると水洗いのあとからあとから虫が出てきます。(キモチワル!)今回は寒冷紗を被せて無農薬。それが奏功して綺麗な花蕾です。おりしも野菜高騰、ありがたい青物です。  

Posted by benhope. at 2016年10月20日17:51

浅利


収穫で忙しい日の朝食は佃煮をご飯に載せて出汁をぶっかけて済ませます。でも先日ふと気になって中身の浅利やワカサギの原産国を見たら、しっかり中国でした。小泉進次郎が農水部会で頑張ったせいか、加工品でも表示がなされるようになったのですね。それ以来、動物性の佃煮とは縁遠かったのですが、このあいだ浅草橋で、どこか佃煮屋がないか聞いたら鮒佐を教えてくれました。勇躍買いに行ったのですが値段でビックリ。100g1600円です。先方も心得たもので50gから量り売りしますよ、との言葉に50gだけ800円で購入。山梨に帰ってカミサンと食べたら、これが美味い。強烈な塩辛さのあとに旨みがじわっと伝わります。当面、大事に食べますかね。  

Posted by benhope. at 2016年10月19日17:47

ゾウムシ


ふと気付くと床にいるんですよね。そして、明るい掃き出し窓に向かって歩んでいます。ちゃんと外界への出口が解るのでしょうか。出所はテーブルの上で乾かしている栗の実です。調べて見たらゾウムシの幼虫ですって。実の表面が黒くなっているのは中身を食われている証拠だそうです。そして鋸屑のような糞。まあ、秋も遅くなってからの収穫はほとんどやられているとは覚悟していますけどね。  

Posted by benhope. at 2016年10月18日15:25

直後に発芽


例の中国製のニンニクを植えたら、2日後には発芽していました。まさに、待っていましたと言う感じ。季節が適合したのでしょうね。でも、秋のうちにあまり大きくなってしまうと越冬の障害になるとか。そこそこに育ってほしいものです。  

Posted by benhope. at 2016年10月17日12:20

何回読んでも


ノーベル文学賞が話題になっていたので村上春樹の作品を図書館で借りてきました。過去にも何回かトライしたのですが、今回も途中でウンザリ。でも、「風の歌を…」は短編だったので何とか読み終えました。あらすじも言葉の使い方も凡庸。このパターンは20年代生まれの当時の作家のステレオタイプ、言わば恐迫観念だよね。取り憑かれている。かつて芥川賞作家をトレースしようと思って、三島と大江を読んだのですが、三島はテーマ自体が深遠で幻想じみて、文体も優雅。でも、大江は文学青年の妄想でしかない。謎めいた女が出てきて結局はセックス。でも、天皇の影が出て来るところはなんとなくうなずける。村上はアメリカンカルチュアを散りばめて、それをさらに薄っぺらくしただけの感じ。そこで、私と同時代人の作家は何を書いたのかと知りたくなって、田中康夫を予約しました。
村上のついでに、「何故村上某は芥川賞が取れなかったのか」という本も借りてきました。これが出色。大江に村上、そして田中康夫と、私と同じ視点で流れを捕えていました。そこで気付いたのは、アプレの作家たちは何にうなされているかというと、天皇とアメリカだということです。昭和20年に崩れ去った首長霊信仰としての天皇=国家神道と、軽蔑しているけれど実は憧れている新参者のアメリカ。このふたつの巨大な影のはざまで揺れ動いているのが昭和20年代生まれまでの人たちなのです。それを昭和30年生まれの田中康夫が直載にスキスキって言って最も軽薄に破ってみせた。そこには民族のレゾンデートルとしての天皇は影も形もありません。時代が新展開を見せたのですね。それ以降の作家の作品は現代的具体性を帯びてきて、我々は何者なのかというかつての作家たちの自問自答が完全に欠落する。大久保利通がキリスト教に替わる統合の象徴として100年かけて築いてきた日本人の精神構造が変質しつつあるというのは、進駐軍の日本文化解体作戦が奏功したのでしょうか。
まっ、続きは後日に。  

Posted by benhope. at 2016年10月16日18:52

メイヨー


このあいだ、高校の仲好し達と中華で飲んだのですが、(ちなみにひとりは、理2から文学部へ転部、哲学で卒論を書いた変人、もうひとりは経済卒で都庁を蹴って公務員試験受け直し国税に入った真面目一筋、最後はWの文学部でバイト中に縁あって広告業界の寵児に、という錚々たるメンバー。)店員に何々ある?って聞いて反応がなかったので、没有?って聞いたら、有って答え。唯一知っている言葉が通じました。(ちなみに、他に知っているのは、日本鬼子くらい。)
そこで、やはり中国語は漢字の発音が想像できて覚えが早いかな?ってことで早速テキストを借りてきました。でも、簡字体なのでさっぱりわからず。仕方なく昔買った漢和辞典で調べて見ると、驚きの略字ばかりです。こりゃ、いかんね。歯が立ちません。でも、日本でも昼や旧の旧字はどうにもイメージがわきません。(子供の頃、オフクロの置き手紙の旧字が読めなくて苦労したのを思い出します。)
というわけで、ちょっと中国語でも勉強して見ようかという気持ちになっています。  

Posted by benhope. at 2016年10月14日14:20