
先日、全集を借りて読みました。でも、原作は短編なのですね。物語がテンポよく展開して解りやすい。しかもその時代の考え方がわかる表現、慣用句を多用して、なるほどと思わせて興味深いものがあります。でも、人口に挙がる名台詞は今は廃れて、文化の素地としてではなく古典の教養としての意味しか持ちません。徳川時代、それも元禄の上方文化は300年も前のものですから仕方ないのでしょうか。(昨日、偶然溝口健二で映画をやっていました。浪花千恵子が室町文化の名残の髷で登場。新藤栄太郎の髷も特徴的でした。それにしても長谷川一夫はイイ男ですね。)でも、ストーリーは(シェイクスピアもウエストサイドストーリーも同一線上)いつの時代も同じ色恋事と金。変わりませんね。
小説、とはnovelと同義のようですが、所詮はnovel「新奇性」。人々が知らないこと、知っていても公にしないことほどインパクトをもって受け入れられるのでしょね。トリックスターという言葉があります。ビックリさせて騒ぎを起こさせ話題を誘う。でも、中身はカラッポ。「太陽の季節」って、今読むと本当に陳腐ですよね。人々がやっと貧困から抜け出してきた時代に、大金持ちの息子たちがヨットで遊んでボクシングにうつつを抜かす。受け狙いでしかない、これが純文学かって!井沢の八ちゃん的な集団就職の人たちは、きっと憧れたのでしょう。(現代の韓国ドラマも多分にその要素がありますが。)慎太郎は結局は最後までトリックスター。尖閣も信念なのか単なる人騒がせか解りません。(それこそ冥途の土産かな。)
大江も、ありきたり。学生運動のはざまで、神秘的、知的な女性と知り合って、すぐに〇〇〇(←アルファベット3文字で書いたら禁止語句との指摘でアップできませんでした。)。そりゃあ、よど号ハイジャック犯の世代はこれまたコロっと憧れちゃうよ。「なんたってクリスタル」もその類ですが、田中康夫は震災で目覚めて県知事で一大問題を提起。大きな違いです。(本人は登場人物そのもので、性格が悪いのが難点のようですが。)村上春樹は解らない。何回も読もうとしますが、だいたい2ページ目で断念。つまらない、です。あれを最後まで読む我慢強い人が真のハルキストなのでしょうね。メドベージェフ的な貧弱な体躯の人は、どこか共感がわかないな。…続く。