私の知らない世界

私の知らない世界
このごろ地質学に凝っています。というより、地球生成史かな。
いまから100万年まえから第4紀というそうですが、その頃地球上に原人が現れた。ホモサピエンスは20万年前だそうなので、子供時代に習った北京原人やジャワ原人は死滅するか、生き残りが混血するかしているようです。(北京原人が中国の古代文明を作ったのだとしてその先進性を信じ込んでいた偏見の影響は大きいですね。)アフリカの大地溝帯に出現したサピエンスが東遷して4,5万年前に東アジアに到達し、現代の文明の基礎を築いた。その間100万年のあいだに約10万年ごとに氷河期と間氷期を繰り返した。その都度、原人は生き残りと絶滅を繰り返したみたい。最終氷期は1万年前に終わって完新世が始まったとなっていますが、いわゆる縄文海進がはじまって海が大きくなった。(温室効果ガスでツバルの海没が危惧されていますが、現代に始まったことではないようです。)北海道、樺太、沿海州がと繋がっていて対馬が細い入り江だったためも大きな溜水だった日本海も、暖流の流入で雲が発生、その雨が日本海側の森林を形成し豪雪地帯となったそうです。1万年前以後も氷河の崩壊で大洪水が地球各地で発生、ノアの洪水伝説も事実の伝承だとか。アメリカの五大湖はその名残とも。淡水が大量に海に放出されると海流の循環が阻害されて寒冷化が起こり、1万年のあいだにも小寒冷期を繰り返したそうです。
土器の発生は燃料になる森林と材料になる粘土がないと不可能です。最古の土器は1万6000年前だそうで、長江から日本列島にかけての広葉樹林帯で最初に興った。麦作の発祥といわれる西アジアに土器が現れるのは8000年前で、稲作漁労文明が歴史に先行していたそうです。西欧先進観で信じ込まされてきた麦作牧畜文明が進歩の礎だという考えは崩れ去った。麦作牧畜は森林を破壊し牧草地=領土を奪い合う西欧文化の基層です。旧約聖書を読むと、故地を追い出された悲劇の民族の歴史が描かれていますが、実はアブラハムが目指したカナンの地では先住民を駆逐、奴隷化して入植し、偏狭な一神教を信じさせたのであり、西欧の精神風土が垣間見えますね。その間、日本列島の縄文文化は1万数千年にわたり平和的な共住を続けてきました。縄文の墓には狩猟道具の副葬はありますが、武器はないそうです。北原の麦作文化に影響を受けた半島の技術がはいってきて初めて部族間対立、地域国家の勃興があったのですね。


Posted by benhope. at 2020年11月01日12:21

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